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大阪地方裁判所 昭和40年(わ)3275号 判決 1969年4月08日

被告人 堀田信之

昭一七・六・二三生 公社職員

主文

被告人は無罪

理由

第一、本件公訴事実

本件公訴事実の要旨は

「被告人は、日本電信電話公社(以下公社という)の職員であり、公社職員の一部をもつて組織する全国電気通信労働組合(以下組合という)近畿地方本部北大阪支部執行委員であるが、組合の公社に対する賃金引上げ要求をめぐる交渉中被告人及び同支部副支部長森上勇、同支部書記滝本博美は、右交渉を有利に導くため、昭和四〇年四月一五日他約四〇数名の組合員らとともに、大阪市東区平野町二丁目二三番地ないし二九番地所在北浜電話局に赴き、同局局長細見正男に対しいわゆる集団交渉をしようとしたところ、同局側がこれを拒否する態度にでたので、同日午後一時頃、右組合員らとともに、同局庶務課事務室前廊下に押しかけ右組合員らと共謀の上、同人らと共同して、被告人ら組合員の同事務室内への侵入を阻止するため同室入口の前でピケ体形をとつていた荻野六生、斉藤勇吉、北野義信ら二三名の管理職員に対し、数回に亘り集団で体当りするなどし、その体当りにより同事務室入口の同局庁舎建造物の一部である木製扉(価格一五、〇〇〇円相当)を押し破つて破壊し、一挙に同事務室内に乱入した上、同室備付けの戸棚、衝立などに集団で体当りし、またはこれを押し倒すなどして、公社所有の図書戸棚一個(価格一一、六〇〇円相当)、衝立のガラス一枚(価格一二九円相当)及び食器戸棚のガラス一枚(価格八六円相当)を破損し、さらに同事務室の北側に接続する同局々長室への被告人らの侵入を阻止するため右管理職員のうち村田清春、尾崎登、大沢新治ら一三名が同事務室と局長室とを通ずる出入口前にピケを張るや同人らに対し、数回に亘り、集団で体当りを加え、あるいはピケの列から引きずり出すなどの所為にいで、これらの暴行により、前記荻野六生に対し加療約二週間を要する右側胸部打撲症、前記斉藤勇吉に対し加療約五日間を要する右上膊部圧挫擦過傷、前記村田清春に対し加療約一週間を要する左側胸部打撲症、前記尾崎登に対し加療約一〇日間を要する右側胸部打撲症の各傷害を負わしめ、もつて数人共同して、故なく前記細見正男の看守する公社の建造物に侵入するとともに、前記荻野六生他二二名に対し暴行を加え、該暴行により同人他三名の身体を傷害し、かつ公社所有の建造物並びに器物を損壊したものである」

というのである。

第二、当裁判所の認定した事実

一、本件集団交渉に至る経緯及び背景的事実

1、全国電気通信労働組合(以下組合という)は、昭和三九年八月一四日日本電信電話公社(以下公社という)に対し、国家公務員の賃金改定に関する人事院勧告が出されたことに伴い、最低人事院勧告に見合う賃上げ分を昭和四〇年度予算編成に組入れること及び当事者能力を確立することを申入れた。その後中央において、八月下旬から九月下旬にかけて三回の団体交渉がもたれたが解決を見ず、一〇月九日、一三日の両日にわたつて公社、組合の首脳会議が開かれた結果一〇月一三日公社側は「組合から賃金について正式要求があれば、公社は自主的に誠意をもつて検討し回答する。いたずらに日を延ばしたり、当事者能力について無意味な論争をせず、公社としての確固とした所信にもとづいて昨年よりも前進した形で対処したい」旨を表明した(いわゆる一〇・一三確認という)。組合はこの確認に基き、同年一一月九日、同年一〇月一日から基本給に一定額四、六〇〇円プラス基本給の九%即ち合計平均七〇〇〇円の賃上げを骨子とする賃金要求書を公社に提出した。これに対し公社側は、組合が示した回答期限の一一月三〇日には未だ結論に至つていないとして一二月一〇日まで回答を留保し、同日行われた団体交渉において「昭和三九年度の賃金引上げ要求には応じられない。昭和四〇年四月以降の賃金引上げの要求については今は判断しうる時期ではないので意見表明はできないが、今後民間賃金等の動向をもみながら態度を明らかにする」旨の言明がなされ、翌一一日にも交渉がもたれたが、結局組合の納得をうるに至らず、先の一〇・一三確認を無視した公社の回答であるとして硬化した組合は、同日非常事態宣言を発すると共に「本日以降準争議状態に突入する。別途中斗の指導するところに基き電気通信の杜絶を含む特別行動を実施すること、一二月一二日以降全国一斉無期限時間外労働拒否に突入すること、ビラ貼り集団交渉等別途指導する大衆行動を徹底的に展開すること」との指令第一号を発し、翌一二日二、〇〇〇名組合員による本社へのデモ並びに東京市外電話局、東京中央電報局における職員の出勤を阻止する約二時間の時限ストを行つた。しかし一二月一八日、政府、日本社会党の折衝により、公社総裁と組合中央執行委員長の間に会議がもたれ、そこで「賃上げについてはその必要を認める。公社として具体的金額を提示できるよう努力しているので、できる限り早急に回答したい。懸案の当事者能力問題については公社としてもその改善拡大のため最大限の努力を払う」旨の確認がなされた(いわゆる一二・一八確認という)。その結果組合は第二波の実力行使を中止した。その後賃上げ問題に関する数回の団体交渉があり、昭和四〇年二月八日公社は五〇〇円程度の回答を示し、同年二月一七日「昭和四〇年四月一日以降、高校卒初任給一、〇〇〇円引上げを含め、平均五〇〇円の源資をもつて基準内給与の引上げを行う」。との正式回答を行つた。これに対し組合は、公社の回答は不当に低いものであり容認できないものとして、ストライキを反覆して実施するとの方針を決定し、二月二〇日から二七日まで全国でストライキ批准の全員投票を行い、八八・三%の率でストライキが批准された。他方公社は、三月一日、組合との団体交渉を打ち切り、翌二日公共企業体等労働委員会に対し調停の申請を行い、調停においても五〇〇円回答を維持した。これに対し組合は、三月六日指令第三号を発し、本社近畿通信局等での時限ストを指示し、それに基き三月一七日庁内デモ等の実力行使を行い、三月二三日指令第四号を発し、三月二六日以降全国一斉無期限に時間外労働を拒否すること及びスト体制を磐石にすると共に四月中旬にむけ徹底した大衆行動を強化することを指示し、四月一〇日には指令第五号により四月二〇日スト決行を、更に四月一五日には指令第六号により四月二三日スト決行をそれぞれ宣言した。

2、公社の近畿電気通信局に対応する組合組織である近畿地方本部では、右指令第一号に基き、昭和三九年一二月一七日近畿電気通信局に約六〇〇名の組合員を動員し、庁内デモ、ビラ貼りを行つた。又指令第三号に基き、昭和四〇年三月一七日同通信局において庁内デモを行おうとしたが警官隊により庁舎内に入ることを阻止されたため、大阪中央電報局、大阪市外電話局において庁内デモを行つた。更に指令第四号に基いては、三月二三日拡大地方戦術会議を開き、地方的統一大衆行動を展開するとの方針を決定し、賃上げ行進を中心とする行動を計画した。そこで近畿地方本部の下部組織であり、公社の天満地区管理部及び堂島地区管理部に主として対応する北大阪支部は、右指令第四号及び近畿地方本部の戦術会議の決定に基き、三月二五日四月一日の両日支部戦術会議を開き次の如き組合行動を決定した。すなわち、賃上げ行進につき傘下三〇分会を六つのブロツクに分けて四月一四、一五、一六日の三日間実施する、そのブロツクは、第一ブロツク―守口、旭、都島、城東電話、城東電報の各分会、四月一四日実施、拠点局は旭局、第二ブロツク―北浜電報、船場、本町電話、本町統中、天満地区の各分会、四月一五日実施、拠点局は本町局、第三ブロツク―吹田統中、吹田電話、吹田電報、三国、東淀川、十三の各分会、四月一四日実施、拠点局は十三局、第四ブロツク―堀川、豊崎、北、北浜電話、御堂の各分会、四月一五日実施、拠点局は御堂局、第五ブロツク―南尼崎、尼崎電話、尼崎電報、西淀川、淀川の各分会、四月一四日実施、拠点局は淀川局、第六ブロツク―此花、福島、土佐堀、堂島地区の各分会、四月一五日実施、拠点局は土佐堀局とし、第一、二ブロツクの責任者は西口北大阪支部支部長、補佐として田中同書記長、第三、四ブロツクの責任者は森上同副支部長、補佐として同執行委員の被告人、第五、六ブロツクの責任者は小畠同書記長、補佐として西河同教宣部長に決め、一ブロツク中の拠点局においては分会非番者及び関係ブロツク一割動員による集団交渉、ビラ貼り等を実施する、ということ骨子とするものであつた。そして本件集団交渉は、右支部戦術会議の決定に基いて行われたものである。

3、なお、右の賃上げをめぐる紛争は、その後指令第五、六号に基き四月二〇日、二三日にいずれも半日ストが行われ、四月三〇日にいたつて公労委の仲裁に移行し、五月一四日、同年四月一日以降基準内賃金の六・二五%(平均一、八二五円)を引き上げることなどの裁定があり、その解決をみた。しかしこの賃上げ闘争のために、昭和三九年一二月二五日、同年一二月一二日の組合行動を理由に中央執行委員長をはじめ組合幹部の解雇等の処分が行われ、更に昭和四〇年六月五日、右半日ストを理由に一五万名余に対し解雇停職等の処分がなされたのであり、以上の一連の賃上げ闘争は、昭和四〇年春闘と称せられ、全電通労組においてはまれにみる大規模な激しい闘争であつた。

以上の事実は、第二四回公判調書中の被告人の供述部分、(中略)によつて認める。

二、本件集団交渉における被告人らの行動等

1、前記北大阪支部は、同支部戦術会議が決定した計画に基き、昭和四〇年四月一四日拠点局である旭電話局、十三電話局、淀川電話局に組合員を動員し、各局々長に対し集団交渉を行おうとしたが、公社地区管理部では、集団交渉を拒否するようにとの上部機関の指示により、いずれも課長等の役職者(以下管理者職員という)を十数名配置して組合員の集団交渉を阻止しようとしたため、組合員と管理者職員との押し合いとなり、その結果旭電話局では玄関のガラス一枚が割れる事態も生じたが、結局いずれの局も集団交渉はなしえず、唯旭電話局において支部役員と分会役員のみが局長と話し合いをもつた。又翌四月一五日には、本町電話局、大阪電話番号案内局(御堂局ともいう)、土佐堀電話局にいずれも集団交渉を要求する組合行動が行われたが、前日と同様管理者職員の配置があり、後記のごとく大阪電話番号案内局においては集団交渉がなされたが、本町、土佐堀の各電話局では集団交渉は行われなかつた。

2、前記北大阪支部戦術会議の決定による第四ブロツク計画の実行のため、四月一五日朝、当日の責任者森上勇副支部長、その補佐の被告人及び滝本博美組合書記外組合員四、五〇名が北浜電話局の中庭に集合し、同局と同一構内にある大阪電話番号案内局に向つて同局に対し集団交渉をなすべく、スクラムを組んで行つたところ、入口で管理者職員一〇名程がこれを阻止しようとする態度を示したが、結局強い抵抗をうけず、同局々長室に入り、局長に対し賃上げ問題についての組合の要求などを述べ、上部機関にその旨を伝えるという約束を得て午前一一時三〇分頃その話し合いを終えた。その後昼休みに北浜電話局食堂で開かれた合同職場集会において、当日は一日行動をすることになつており、北浜電話局が同一構内にあることから、午後からは同局へ集団交渉に行くことが森上副支部長より提案され、参加組合員の拍手で採択された。

そこで、同日午後一時すぎ、森上副支部長は、組合員約四〇名を再び中庭に集合させて三列縦隊に整列させ「今から北浜局へ集団交渉に行く、管理者はピケで阻止するかもわからないが、手は絶対に腰より上にあげてはならない、公社が挑撥してきても絶対にそれに対抗してはいけない」旨の注意を与え、スクラムを組み、森上副支部長、被告人らが先頭になり、同局庶務課事務室入口にワツシヨイ、ワツシヨイと掛け声をかけながらゆつくりしたかけ足で向つた。一方公社側は、組合の拠点局ではないが大阪電話番号案内局と同一構内にあることより北浜電話局にも集団交渉が求められることを予想して、それを阻止するため、前日と同様同日も朝から管理者職員二十数名を集めていたが、組合員がやつてくるということで、二〇名程の管理者職員が同局庶務課事務室入口の二枚扉の一枚を開けたままその扉外側(廊下側)に二列に並んでスクラムを組み、扉の内側(室内側)にも数名がこれを支える形で並び、いわゆるピケツトを張つた。そこへ組合側は三列縦隊のままゆつくりした駆け足できて、管理者職員側のピケに対し斜前からその先頭が接触する格好になつたが、同室前の廊下は巾一・六米程の狭いところであつたので、森上副支部長の指示で、組合員は、廊下をはさんで事務室の入口扉と向い合つて並んでいる下駄箱の間に入り、管理者職員側のピケと真正面に対し、局長に会わせろなどと口々に叫んだ後、森上副支部長の「かかれ」との指揮により、組合員全体が管理者職員側のピケを体当りするように押し、これに対し管理者職員側は、ピケを破られまいとしてスクラムを組み、中腰になつてこれをうけ押し合いとなつた。このようにして組合員側の波状的な力が三回程加わつた時、メリメリと音がして管理者職員側背後の庶務課事務室入口の固定して閉じてあつた扉が中央部分から上下二つに折れて内側に倒れ、それと共に右扉の内側にあつた衝立、図書戸棚、食器戸棚が倒れて、そのガラスなどが破損し、書類等が散乱した。又右扉が倒れると同時に、押し合つていた管理者職員及び組合員の半数程が共にどつと庶務課事務室内になだれ込む結果になつた。そして事務室内に入つた管理者職員、組合員は、事の意外に一時呆然と立ちつくす状態にあつたが、やがて右の結果は相手方の責任に帰すべきであるなどの非難の声、やめろやめろなどの制止の声などがどつと起り、しかも狭い庶務課事務室内の入口から局長室に通ず扉までの一偶に多人数の管理者職員及び組合員が立ち入つてのことなので非常に喧噪をきわめた興奮状態となつた。そしてその騒騒しい中で、森上副支部長は一段高い所に立ち公社側の非を鳴らし、又組合員の中の数名が局長室前に後退した形で集つた管理者職員の数名と再び押し合いになり、或いは管理者職員を引き抜いたりした。しかしそれもわずかの間に自然におさまり、やがて丁度そこに来合せた西口支部長と森上副支部長の指示により、組合員は同室にビラ貼りをした後、同室を退去した。

なお、被告人は、扉が壊れて後庶務課事務室に入室したが、同室内では、局長室前に集まろうとする管理者職員などを押しとどめようとしたことは認められるが、局長室前での押し合いに加わつていたとは未だ認めえない。(この点につき、証人浜利一郎は「被告人が村田課長の前で頭突きの格好で押していた」旨証言し、証人村田清春は「被告人が先頭になつて体当りしてきた」旨供述しているが、同証人は他方「森上副支部長も押していた」旨供述しておりこの事実は他の証拠よりすれば全く認められないところであつて、したがつて「被告人が押した」との同人の証言にも信憑性がないものといわざるを得ず、当時の喧噪、興奮、混乱した状態での出来事であつてみれば、右浜証人の証言のみをもつて、被告人が局長室前で押したことを認めるわけにはいかない。)

3、右の庶務課事務室入口扉の前の組合員と管理者職員ピケとの押し合いの際に、管理者職員側のピケに加わつていた荻野六生が加療約二週間を要する右胸部打撲症の傷害を負い、同入口扉が破壊した際、同様管理者職員側ピケに加わつていた斉藤勇吉が扉と壁の部分に右手をはさまれて加療約五日間を要する右上膊部圧挫擦過傷の傷害を負い、局長室前の一部組合員と一部管理者職員との押し合いなどの際に、管理者職員の村田清春が加療約一週間を要する左側胸部打撲症の傷害を、同尾崎登が加療約一〇日間を要する右側胸部打撲症の傷害を負つた。

以上の事実は、第二四、二五回公判調書中の被告人の供述部分、(中略)被告人の検察官及び司法警察員(昭和四〇年六月六日付七丁のもの)に対する各供述調書、第三、四回公判調書中の証人中本喜代一の供述部分、第四回公判調書中証人平井義夫の供述部分、第五回公判調書中の証人細見正男の供述部分、第七回公判調書中の証人浜利一郎の供述部分、第八回公判調書中の証人山本正、同荻野六生の各供述部分、第九回公判調書中の証人村田清春、同尾崎登、同斉藤勇吉の各供述部分、第一一回公判調書中の証人渡辺恒公、同三宅弘の各供述部分、第一五、一六回公判調書中の証人西口喜久男の供述部分、第一八、一九回公判調書中の証人西尾健の供述部分、第二〇回公判調書中の証人森川伊津美の供述部分、第二一回公判調書中の証人森川米の供述部分、第二一、二三回公判調書中の証人槇原翼の供述部分、森上勇の検察官に対する供述調書、当裁判所の検証調書、司法警察員作成の実況見分調書、仮屋和雄、山本正、三宅弘作成の各被害状況写真綴、医師藤井和雄作成の診断書四通、押収してある木製扉一枚(昭和四一年押第五一号の1)によつて認める。

三、集団交渉について

本件において組合が計画実行した集団交渉は、勿論正規の団体交渉或はそれに準ずるものではないが、賃上げ、配置転換などに関し、現場機関の管理者のところに組合員十数名、場合には数十名が行つてその実情を訴えるという、いわば陳情或いは意見の交換といつたことを内容とするもので、組合がしばしば採用する組合行動であり、公社も、この昭和四〇年春闘までは、これを拒否したり阻止したりしたことはなく、これに応じていたものである。(なお本件後も公社はこれに応じている。)そして、組合が集団交渉を行うにつきそのねらいとするところは、組合員の結束を図り組合闘争の意識を高めていくこと、交渉内容を広く衆知せしめることにより闘争に対する国民の支援を得ること、公社の現場管理責任者に問題を伝え、それを上層部に伝達してもらうことにより公社上層部に問題解決の態度をとらせることであり、そこに非難すべきものはない。したがつてこのような集団交渉は、団体交渉権の行使というわけにはいかず従つて管理者側に対しこれに応ずべきことを要求する権利があるとはいえないが、労働者の団体行動権より由来した組合活動であり、そのようなものとして評価すべきで、それが業務の正常な運営を著るしく阻害するとか、つるし上げなどの如く暴行或いは脅迫的行為を伴うものでない限り、正当な組合活動というべきである。

以上の事実は、第二四、二五回公判調書中の被告人の供述部分、(中略)によつて認める。

第三、本件被告人らの行動の法律的評価

一、暴力行為等処罰に関する法律違反、傷害罪の不成立について

1、先ず庶務課事務室入口前の管理者職員のピケに対する被告人ら組合員の行動についてみるに前記認定のとおりそれは組合員四〇名程が集団交渉を求めて管理者職員側のピケに対し一団となつて体当りするように押したものであるが、以下の理由により右行為は未だ可罰的違法性がなく、共同して暴行した罪に当らないものと考える。すなわち、本件集団交渉を求める組合の行動は、いわゆる昭和四〇年春闘といわれる激化した賃上げをめぐる労働紛争の中で、組合行動の一環として、組合中央指令及び近畿地方本部の決定に基き、北大阪支部が計画実行したものであり、又局長に一、二時間会うことにより電信電話業務に著るしい停滞をきたすとは本件において全く認められず、かかる集団交渉を求めること自体には何ら正当性に欠けるところのないこと前述のとおりであるから、これを求めて管理者職員ピケを押すことの動機、目的において正当なことは容易に認容しうるところである。又過去において公社側はかかる集団交渉に応じていたのに昭和四〇年春闘のこの時期において突如これを拒否し、しかも管理者職員を配してそのピケによりこれを阻止しようとしたことは、公社側としてそれ相応の理由があるとしても組合に対する力による対決の姿勢を示したものであり、前記のような情勢の下においてはいたずらに組合側を刺激するに過ぎないものというべきであり妥当な措置とみとめがたい。従つて当時の組合側としては、それをもつて公社の組合に対する高圧的な態度の現れと受け取ることは無理からぬところであり、更に前日においても同様、管理者職員のピケに対し組合側はこれを押す行動をとつており、その結果玄関のガラス一枚が割れるに至つても、その押す行為自体は何ら問題とはなつておらず、そのような行動の結果組合役員が局長に会うことができたところもあり、又当日午前中の大阪電話番号案内局のように押す構えを示すことによつて管理者職員が配置されながらたいした抵抗もうけずに集団交渉をなしえた事情をも斟酌すると単に集団でピケを押した右組合員等の行為がその手段、態様においても相当性を逸脱したものとは未だ認めがたい。更に加えて、管理者職員がピケを張つて集団交渉を阻止しようとしたことは、組合側の或る程度の実力行使を予想し、覚悟した上でのことであろうし、なお言えば、これを認容していたとも言えないわけではなく、このような点からみれば、右組合の行為によつて管理者職員に対して与えた法益侵害の程度は軽微なものといわざるをえない(このことは次に述べるごとく傷害の発生をみたことによつても結論において変らない)。以上の如き行為の動機、目的、手段、態様、法益の権衡等からして単に管理者職員のピケに対し、集団交渉を求め組合員が一団となつて体当りをするようにして押すという本件行為は、一応共同暴行罪の構成要件に該当する外観を呈するとはいえ、労働紛争の場におけるものとして実質的違法性を欠くものと考えるのが相当である。

なお、本件においては、右の組合員の行為により、庶務課事務室入口の扉が破壊され、管理者職員が傷害を負つているのであり、そのことから、組合員は相当強く押したのであつて、その行為は相当性を欠くのではないかとの疑問が生じるかも知れないが、前記押収してある木製扉によれば、右扉のその折れた部分は、扉の上半分にガラスがはめてある関係で木製部分が非常に狭くなつているところであり、しかもその部分に内部において継ぎ木してあることが認められ、必ずしも頑丈なものではなかつたためそこに多人数の集中的な力が働いたことから瞬時に扉は上下に折れたもので、全く予想外の出来事であり、その直前にこれを防ぐことは不可能であつたこと、それに管理者職員二〇数名と組合員四〇名位との人数をも考えると、この一事をもつて集団で押した本件行為が相当性を欠くに至つたものといいえず、又傷害の点についても、荻野六生の傷害は、組合員の押す力と管理者職員側の破られまいとしてこれに抵抗する際当然働くと考えられる押し返す力のぶつかり合いの中で生じたもので、組合側の行為のみによつて生じたとはいいきれない傷であり、又斉藤勇吉の傷害は扉の崩壊という予期しない結果より生じたものであつて、その法益侵害の程度は現実に生じた傷害のそれと比し相当程度軽減して評価すべきであるから、いずれもこの傷害の結果の発生をもつて本件組合員等の行為が可罰的な違法性を帯びるに至つたものとはいえないと考える。したがつて右の傷害についてもその罪責を被告人に問うことはできない。

2、本件公訴事実は、戸棚等の器物の損壊につき、組合員が集団で体当りした結果により生じたものとして、これをも暴力行為等処罰に関する法律違反に問うているが、前記認定のとおり、右器物は扉が折れ倒れた際に壊れたものであつて、被告人をはじめ動員組合員の故意は勿論体当りの事実も認められない。

3、局長室前の一部組合員の行為については、前記認定の状況のもとになされたものでそれ迄の組合の集団的な行動とは別個に当該個々の組合員の意思に基づいて行われたと認めざるを得ずこの行為に加わつた者は別として、それ以外の組合員につき共謀ということをもつてその行為の責任を問えないものと考える。そして被告人が右の行為に関与していると認められないこと前記のとおりであるから、この点についての共同暴行の罪及びその際生じた村田清春、尾崎登の各傷害の罪を被告人に帰することはできない。

二、建造物損壊罪の不成立について

庶務課事務室入口の扉の損壊につき、被告人ら組合員に確定的故意が認められないことは勿論であるが、その入口の二枚扉の一枚は開けられたままであつたのであるから、両扉が閉じられている場合と異り、押す力はその開かれた方に吸収されると考えるのが通常であること、被告人をはじめ動員組合員の大部分はこの日始めてこの事務室に来た者であり、扉が木製であることも、どの程度の力が加われば壊れるおそれがある扉であるのかも知り得なかつた事情のもとでは、押すと壊れるかも知れないなどとのいわゆる未必の故意すら認めるわけにはいかず、結局被告人に対し、建物損壊罪は成立しない。

三、建造物侵入罪の不成立について

被告人ら組合員は、局長に会うことを直接の目的として管理者職員のピケを押したのであり、管理者職員側も局長に会わせまいとして、唯そのことのために庶務課事務室入口にピケを張つたのであつて、組合員が庶務課事務室に入ること自体について公社側に強い拒否の理由があるわけでないこと(そうであればこそ被告人ら組合員が庶務課事務室に入つた後、その退去を求める意思の表示も、具体的な処置も全くなされていないのである)、先に検討したごとく、集団交渉を求めることは正当なものであり、入室そのものによつて公社の業務の著るしい停滞をきたすものでもないこと、その他前記認定の事情のもとにおいて、被告人らが庶務課事務室内に立入つた行為は未だ可罰性がないものというべきであり、結局建造物侵入罪に当らない。

四、結論

以上検討したとおり、被告人に対する公訴事実は、その一部につき犯罪の証明がなく、その他については各構成要件が予定する可罰的違法性がなく、結局犯罪を構成しないので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 原田修 井上隆晴 奥田孝)

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